“仕切り直し”と表現した方がしっくりくるかもしれない。
前年にアルバム「FLASH IN JAPAN」をアメリカのみで発売したことで一区切りとした矢沢。
大国で得たものは計り知れない反面、焦りも感じていた。
マーケティングの主戦場を再び日本に戻すことによって、これまでとは一味違ったYAZAWAを魅せてゆくためにはどうすれば良いのか…
この年からレコード会社を東芝EMIに移した。
条件面はアメリカでの進出も含めたワーナー・パイオニアとの契約も良かったが、
“音楽の世界は金だけでは割り切れないものがある”
どんなにこちら側の対価が大きくとも、より多くの人々にYAZAWAの音楽が届かなくては意味がない。
まずは世間にとっての“雲の上”の存在となってしまった矢沢永吉のイメージを変える必要がある。
改めてキャロル結成時やソロデビュー時のように、自分の足で各地の現場を回っていこうと決めた。
そして矢沢はレコーディングの地をロンドンへと移してニューアルバム制作に臨む。
今までとは違った音を生み出したいという拘りを追求する為には不可欠な判断だったのかもしれない。
理屈を超えるストレートなロックというイメージを掲げた“不良性”を出すことが今回のテーマとなった。
若い頃の勢いに乗った“不良”ではなく、矢沢永吉の現在39歳ならではの大人の“あぶなさ”を醸し出すような色気を放つ曲をずらりと並べる。
そのあぶない色気を生み出してひときわ存在感を放っているのが、数々の楽曲の中で取り入れられているシンセサイザーの音だ。初めて矢沢とタッグを組みアレンジとプログラミング、キーボード奏者としても参加したジョージマクファーレンがこのアルバムのキャラクターを作る屋台骨となった。
実は、このアルバムの中で矢沢が特に気に入っている楽曲「ニューグランドホテル」はロンドンに向かう以前に、夢の中でメロディーが浮かんできたという。
「夢を見ながらわかってんの。曲を口ずさんで、いい曲だなって思ってるわけ。それで早く起きなきゃ、起きてカセットを探しているうちに、いつもは忘れちゃうの。それがね、今回だけはちゃんと書きとめた曲がある。これは絶対に使おうってロンドンに行く前から決めてて、向こうでサビとかを完成させたんだけど、イギリス人のスタッフ全員がいい曲だって言ってくれたよ。」
7月21日、東芝EMI移籍第一弾オリジナルアルバム「共犯者」が発売決定となる。
前述の決意を実現すべく、矢沢は大小関わらず様々な雑誌インタビューから地方のラジオ局まで全て回った。
地方の放送局やラジオ局からすると「来るはずのない人が来た!」と大騒ぎになった。
それまで矢沢は一貫してプロモーション活動を積極的に行うことはせずにレコーディングとライヴ活動に専念していたが、こうして“よろしくお願いします”と挨拶しながらこまめに全国を回ることで、再び日本にミュージシャン“矢沢永吉”という芽がしっかり出始める。この試みは大成功であった。
9月からスタートした全国ツアー「It's Only YAZAWA」でもこの姿勢を貫いた。
70本を超える大規模ツアーで全国を走り回る4台のトラック、通称“トランポ(TRANSPORT)”の荷台にツアータイトルと「共犯者」のジャケットデザインを施して、会場のみならずその道中までをも目を惹きつけるようなアイデアを導入した。
さらには9月23日、浜松市民会館でのライヴを終えた後、「ニュースステーション」に名古屋テレビから中継で生出演するという今まででは考えられないサプライズも行った。
こうした“種まき”を続けることで、この年最後の大舞台となる自身初の東京ドーム公演への期待が一気に膨らんでいくこととなる。
かつて東京ドームの隣にあった後楽園スタジアムで矢沢は4万人の大観衆を熱狂の海に変えた。
そしてそれは、あの日から10年経った今もなお変わらぬ熱気を帯びたまま矢沢と共に生きている。
さらに時代は進歩し、来場できなかった人々も衛星中継によってリアルタイムで東京ドーム公演の興奮をテレビで体感できるようになった。
東京ドーム前日、矢沢は風邪気味で唸っていたが当日はしっかり体調を戻してきた。
彼は常々、巨大な会場でのライヴを“お祭り”と答える。どれだけオーディエンスを楽しませられるか…
簡単そうに話してはいるが、今までのキャリアがあるからこその余裕なのだろう。
シンプルな黒いスーツをきっちりと着こなして舞台袖へスタンバイした矢沢。
そしてオープニング「共犯者」の妖艶なギターリフと音玉の爆発音が鳴り響くと、シンセサイザーの音色に合わせて矢沢は5万人が待つ空間へと向かっていった。