5月。生まれて初めて体感したアメリカのレコーディングスタジオは、日本と比べて大きく変わった印象は感じなかった。Carpenters、Carole King…名だたるアーティストによって数々の名曲が生まれた、このロサンゼルスの郊外にある名門スタジオから、矢沢の新たなる挑戦が幕を開けた。
キャロルが日比谷野外音楽堂で劇的な終幕を迎えたわずか20日後、この名門A&Mスタジオでソロデビューアルバムの制作を進めていた。このシナリオはキャロルが解散すると決まった時点で、既に矢沢のイメージの中に描かれていたのだ。
「俺は今燃えている。キャロルで俺の出来る全てを、ぶっつけてみようと思ったあの時も、こんな気持ちだった。」
プロデューサーには「ゴッドファーザー」など映画音楽で大きく名を馳せているトム・マック氏を迎え、
スタジオミュージシャンは当然のことながら全てウエスト・コーストの一流軍団。矢沢が持ってきたデモテープを聴きながら次々と“本場の音”がマルチテープに吹き込まれ、曲が彩られていく。
「日本にだって良い設備・機材、テクニックはあるけど、決定的なのはその場の雰囲気。すごくリラックスしていながら決めるところはビシッと決める。彼らは実に“音楽する”ってことを体で知っている連中だったのさ。」
約2週間のアメリカでの滞在期間を終えて、キャロル解散から5ヶ月後の9月21日、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK」、アルバム「I LOVE YOU,OK」を引っさげて、矢沢永吉はソロデビューを果たす。
デビュー前の8月には、東京赤坂のクラブ「MUGEN」で会見代わりにアルバム曲を数曲披露すると同時に、レコード会社をキャロル時代契約していたフォノグラムからCBS・ソニーへ移したことも大々的に発表された。
そしてソロデビューとほぼ同時期の9月27日、京都会館を皮切りに全国ツアー「AROUND JAPAN PART-1」がスタートする。
しかしキャロル時代のファンには、矢沢のソロデビューを快く思っていない者も多数存在した。
何故なら、今まで攻撃的なROCK’N’ROLLをしてきた「キャロルの矢沢永吉」が一点、バラードでのデビューを飾ったことに不満と反感を抱いたからだった。
半年前までは当たり前のようにソールドアウトしていたチケットが売れない… 新たなるサクセスストーリーの火蓋を切らんとする矢沢にとって、正に洗礼とも言える出来事であった。 とりわけ佐世保市民会館は極端に売上が悪く、公演当日の雨の中、スタッフが総出でチケットを手売りしたが完売には程遠かった。 1000を優に超える集約人数の会場に、200人余りの観客を前にして矢沢は言った。 「俺は今悔しい。だけど今来ている人は幸せだよ。何故なら、こんな素晴らしい矢沢が見れるからさ。」
観客が何人だろうと「矢沢永吉」というプライドを掲げ、常に最高のステージを魅せてやる。 悔しさが込み上げる中、これから始まる長いソロキャリアへの覚悟を抱いて200人の前で歌った。
ステージを終えて、矢沢はスタッフ達につぶやいた。 「この日のことは絶対忘れない、決めるぞ。リメンバー佐世保だ。」
次にこの地へ立った時には、きっちり“オトシマエ”をつけることを誓って矢沢は次の街、福岡へ向かうのであった。